『お山のお塚』を読んで

 

伏見稲荷大社が昭和40年(1965年)に刊行された『お山のお塚』という本を読んでいます。

 

伏見稲荷大社をご参拝された方はご存知だと思いますが、稲荷山には崇敬者の方によって数多くのお塚が奉納されています。

『お山のお塚』はそのお塚を調査しお塚の名前や場所を記したものです。

 

そのため場所を記した別冊の『塚台配置図』があり、お塚の場所を地図で確認できるようになっています。

 

なぜこの本を読んでいるかといいますと、全国にある三吉稲荷神社を知りたく読んでいます。

稲荷山にあるお塚は崇敬者の方によって奉納されており、その多くは伏見稲荷大社から御魂を授かった方や稲荷講の方が多く、そのため「三吉」の名がつくお塚を奉納されていれば地元に「三吉」の名のつく稲荷神社を建立されていると考えられるからです。

 

三吉稲荷神社という名前をした神社は、わかっているだけで三重県内にも当社をあわせて3社ご鎮座されております。

伊勢にある世良神社の摂末社である三吉稲荷神社、鳥羽の相差にある石神さんとしても知られている神明社の摂末社にある三吉稲荷大明神として祀られている稲荷神社、それに当社をあわせて3社ご鎮座されております。

 

また京都にも「三吉」の名のつく稲荷神社がご鎮座されており、映画の街で知られている太秦に三吉稲荷神社(さんきちいなりじんじゃ)がご鎮座されております。

 

関東や東北にも「三吉」の名のつく稲荷神社がご鎮座されております。

 

『お山のお塚』によれば「三吉」という名前が入ったお塚は29基ほど確認されております。

 

上の二つ目の図(スライドすると図が変わります)の「光吉」はおそらく「みつよし」と読まれると思われますが、訛りや省略などによって「みよし」と読まれる可能性もあるので一応記載しておきました。

 

ただこの『お山のお塚』では「三吉」は「みよし」として読まれていますが、『お山のお塚』の最初で明記されているように一般的な名称を採用しているが他の読み方もされているとも書かれています。

 

先述の京都の太秦の三吉稲荷神社が「さんきちいなり」として読まれていことからもわかりますが、「三吉」がかならずしも「みよし」として読まれているとも限りません。当社でも「さんきち」と読まれる方がいらっしゃいます。

 

『お山のお塚』には続巻が翌年に出版されておりますので、次のページで続巻に関してと内容のまとめをいたします。